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2018年12月21日

駒沢オリンピック公園競技場物語

駒沢オリンピック公園物語

1940年のオリンピックは東京に決定していた。当時、東京市は駒沢に12万人収容のスタジアムを建設する計画を立てていた。
そんな頃、東京オリンピックの誘致に尽力した嘉納治五郎は、エジプトIOC会議で東京大会開催、再確認合意の帰国途中、1938年5月4日、船上で病死。日本は防波堤を失い、日中戦争はさらに激化。

それから2ケ月後、日本はオリンピックを返上。

平和の祭典になるはずが待っていたのは戦争だった。戦場に日本代表選手も借り出され優秀な人材を多く損失した。東京は焼け野原と化し1945年8月に無条件降伏。

それでも日本国民は立ち上がった。

戦争に敗れたわずか13年と数ヶ月の1959年5月、西ドイツで再び東京オリンピックの誘致に成功した。家電三種の神器、新幹線開通、高速道路の建設。日本は高度経済成長を遂げた。

1964年10月10日オリンピックは東京で開催された。開会式は千駄ヶ谷の国立霞ヶ丘陸上競技場。

日本体育の父、嘉納治五郎の夢はここに叶った。当時、嘉納の死に直面した水泳の田畑政治は、嘉納の意思を継ぎ、東京オリンピック開催に執念を燃やした。 田畑は様々な場面で戦略を講じた。

ギリシャ・オリンピアから世界を回る聖火には平和への願いを込めた。それはかつての戦場地域に平和宣言行脚。そして最終聖火ランナーには、1945年8月6日、広島に原爆が落とされた日に広島県で生まれた19歳坂井義則君を起用した。

日本は、平和国家に生まれ変わったことを世界に示した。

駒沢屋内球技場ではバレーボールが行われた。女子はライバルソ連との激闘を制し金メダル。大松監督の体は東洋の魔女の手で宙に舞った。男子も健闘し銅メダルを獲得し8年後のミュンヘンオリンピック金メダルへの道となった。

駒沢体育館で行われたレスリングも国民の期待に応え5つの金メダルを手にし、八田会長の指導力は世界から注目された。その精神は脈々と受け継がれ現在も世界の強国に君臨している。

日本の獲得したメダルは16を数え大会は大成功。日本は経済と共にスポーツでも世界の先進国の仲間入りを果たした。

それから半世紀を超えた。
2020年の夏、東京に2度目のオリンピックがやって来る。

世界の超人達はどんなドラマを準備してくるのだろうか!