おかやま山陽高等学校 | Okayama Sanyo High School

2013.07.01硬式野球

監督のぼやき・・・8 「自分の手で手に入れること」

先日、妻と友人の奥さんの会話が、テレビをボーっと見ている私の耳に聞こえてきました。あまりにも長い話だったのですが、簡単に書くと 子供が所属している、少年野球の応援に行っているそうなんですが、子供達が声を出していないから、親が集まってリーダー格の方が、「もっと自分の子供に声を出させるように、親が家で言ってください!」と強く言われたのことでした。
別に、会話に参加していたわけでもないので、何も言いませんでしたが、何で子供に声を出せと、家で言わなければならないのか? 理解できませんでした・・・。一所懸命に盛り上げようとされているのでしょうが、一生懸命になればよいのは、選手だと思うのですが。それを親が強制して声が出て何か変わりますか? ましてや、親に言われて、声を出すようになる子供がいるのでしょうか? なぜ、声が出ないのでしょうか? その原因を探ったほうが良いのではないでしょうか?
自分のチームも声が出ずに、ジトーッとしている時があります。これは私の責任です。脚本のプロデューサーが私、演出家が指導者たち、脚本がメニュー、演じる役者であり観客が選手と思います。観客が、つまらなく感じているのに、家に帰って親が「笑え!」って、言いますか?
人が、喜ぶ時の共通の部分は、自分の手で手に入れることだと思います。与えられるものや強いられるものには、喜びは少ないか、全くないでしょう。例えば、戦争体験者の方々が感じている日本の平和と私のような戦後生まれの人が感じている平和と、同じような有難さを感じることができるでしょうか?
話は戻りますが、楽しければ声は出ると思います。(究極の場面では、声など出ない無言の緊迫感になる思いますが)  では、どうやれば楽しいのか・・・。ある方が、言っていました。最初から楽しいことなんか何もない! 上達したことが、楽しいことになる。その通りだと思いました。学校での英語の授業が、大嫌いでした!(野球部の監督でしたが) しかし、海外に行って、あの人としゃべりたい、話さなくてはいけないという状況になり、必死に勉強しました。(試験勉強のような辛さや苦労とは、全く感じませんでした)。半年たった時にブレイクスルー。突然、しゃべれるようになりました。楽しくて仕方なかったです。
だから、目の前の選手達に必死です。変な癖がある選手、下手な選手が上手くなるように、日常のありとあらゆることにヒントを探しています。そういった選手が、少しでも上達したときに見せる笑顔を見ると、本当に幸せです。声を出させるのではなく、出てしまうような選手になってくれるように頑張ります!
モチベーションは、外から与えるものではなくて、内側から溢れ出るものだと思います。そのスイッチの一つが、上達することだと思います。安易に手を差し伸べれば、伸べるだけ、指示を待ち、自分の意志では何もしない人間になってしまうと思います。
例えば、算数の問題を、小学生が考える前に答えだけを先に教え続ける先生がいたら、そのクラスの生徒は算数が好きになりますか? 逆に、普通の小学生に東大のテストのような難しい問題を出し続ける先生がいたら、そのクラスの生徒は算数が好きになりますか? 高校生に、小学校1年生の算数しか教えない先生がいて、高校生は満足しますか?
見た目の声、形だけの礼儀よりも、本当に無我夢中になっている選手の動き、雰囲気、心からの礼を感じることができたら最高だと思います。そうなれば、その選手たちは、伝えるための所作、方法(型)を身に着けるのではないでしょうか?

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