おかやま山陽高等学校 | Okayama Sanyo High School

活躍ブログ

学び続けた3年間。大きな目標を持てば、それ以上のものだって得られる。

田内 真翔 さん

Profile

たない まなと田内 真翔

2022年入学
普通科スポーツコース卒業

出身

広島県福山市

進路

横浜DeNAベイスターズ

趣味

サウナ

高校一年の頃から地元のサウナに通っていたので、球団の寮にもサウナがあって嬉しいです。

兄の背中を追って

——身長177cm、体重79kg。抜群の身体能力を持つ田内さんは小学生のときにソフトボールを始め、中学時代は福山市の軟式野球チーム、精華クラブに所属。子どもの頃からプロ野球、高校野球を問わず野球全般を観ることが好きだった。高校は2歳上の兄が通うおかやま山陽高校を選んだ。

兄が通っていたこの学校に入るため中学生の頃から頑張っていました。兄は左バッターでセカンド。右投げ右打ちの僕とはタイプが全然違うんですが、兄は1年生の秋から試合に出ていたので、僕も1年生から出ないといけないと思っていました。

おかやま山陽高校の硬式野球部はトレーニングでマット運動だったりジャグリングとか、そういう珍しいことをすると聞いて興味を持っていました。これは堤監督が持ち込んだメソッドでマット運動は連動性と柔軟性、ジャグリングは動体視力を鍛えるためです。ほかにもテニスボールを3つ積み重ねる、っていうこともやりましたね。無理だろうと思ったんですけど挑戦してみると出来ました。必要なのは集中力です。そんなことしても野球には全く関係ないと思うじゃないですか。でも結果は野球に関わっているんですよ。ほかにもトレーニングとしてサッカーもやりましたがそれも野球につながっている。堤監督のやることで野球に関わっていないことはないと思います。

堤尚彦監督の発想

——野球部監督の堤尚彦先生は兵庫県出身。子どもの頃からずっと野球を続け、東北福祉大学卒業後は青年海外協力隊に参加し、ジンバブエをはじめガーナ、インドネシアで野球の普及活動を行った。帰国後に勤務した福岡県のスポーツマネージメント会社で諸見里しのぶさんのマネージャーを担当するなど多彩な業務を担う。おかやま山陽高校前理事長からの熱烈なオファーに応えて2006年から野球部の監督を務め、社会科の教師として授業を受け持っている。

野球部のトレーニングはほぼ毎日です。月曜日は休みなので個人的に体を鍛えるメニューをやって、ほかの日はとなり町の金光町にあるおかやま山陽高校の『山陽球場』で練習です。僕は電車通学だったので授業が終わって15時半頃の電車に乗って、近くの駅からは自転車でグラウンドに向かいます。練習時間は16時に始まって19時くらいまでの約3時間です。僕のときの部員は約90人で、指導は監督、部長、副部長とコーチ3人と外部コーチがいて、設備に関してもかなり整っていると思います。

この学校の硬式野球部はAチーム、Bチームみたいなチーム分けもありましたが全員でやったり、ポジション別、課題別にやったりと多種多様な練習のやり方でした。これも堤監督の考え方で、皆が同じ立ち位置なんです。上下関係についてもあまり厳しくはないですが、礼儀についてはしっかりと指導してもらいました。

▲恩師である堤監督と。

僕、まだ17年しか生きていませんが、堤監督みたいな人はほかにいないと思うんです。まず発想がぶっ飛んでいて自分たちには絶対できない考え方やものの見方をするんです。いつだったか堤監督から『打って走るときセーフになるためには?』と聞かれたことがあって、僕らは普通のことを答えていたんです。そしたら堤監督は『スパイクが28メートルあったらセーフじゃないか?』』って言われて、〈この人何言ってんだろう?〉〈なんでそういう発想が出てくるんだろう?〉と思っていたんですけど、僕らや世の中が思っている常識って実は僕らが勝手に決めているだけだってことを教えてくれていたのかなと思っています。

堤監督じゃなかったら僕がプロの道に進んでいないことは確実です。僕はプロに行けるか行けないかというラインの実力だった。そんな僕の気持ちを押してくれたのが堤監督です。プロとして野球をやることについていろいろな情報を教えてもらい、プロに行きたい気持ちが強くなっていきました。ほかにも「同じ実力であれば付加価値のある選手のほうが良いはず」と、試合中や練習中の動画から僕がたまたまホームランを打った場面をまとめて全球団に送ってくださったりもしました。
堤監督の話で一番心に残っているのは、海外で野球を教えていたときの話です。僕らは新しくて良いグローブを当たり前だと思っている。だから使い古したグローブを見ると〈あ、これボロボロやな〉と思うんですけど、堤監督が教えていた外国の子どもたちはグローブを手にしたことがなくて、そんなグローブでももらったら涙するって聞いたんです。だから僕がプロで活躍してヒーローインタビューができるくらいになったら周囲に協力をお願いして、海外の野球をやりたくてもできない子どもたちに送りたいですね。試合に出ることが堤監督への一番の恩返しですけど、そんなふうに堤監督が取り組んできたことや思いを繋げていきたいと思います。

野球への姿勢を評価される

——2024年10月24日、田内さんはプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから5位指名を受けた。そもそも堤監督がプロ野球入りを勧めたのは、横浜DeNAベイスターズが勝ち続けるために選手の人間性を重視する点に共感したからだという。スカウトから田内さんは野球に取り組む姿勢を高く評価されていた。

野球部で挨拶、礼儀をしっかり教えてもらっていたことが、野球に取り組む姿勢を評価されたことにつながったのかもしれません。僕が毎日決めてやっていたのは練習が始まる前にグラウンド整備すること。ルーティンはそれくらいです。練習では全部のレベルを上げないと、と思っていたので守備もバッティングもバランスよく全部やる感じ。でもやっぱりヒットを打つためにバッティング練習が多かったです。あと、もちろん守備力を上げることが必要だとずっと言われていました。
プロ野球選手になるという気持ちは子どもの頃からありました。でも中学生のとき『高校野球ドットコム』というサイトで全国の選手の打球だったりスイングの速さを見ていると明らかにレベルが違うんです。自分よりはるかに上手い選手がいっぱいいて諦めかけた部分があって、高校に入っても僕は正直、プロを考えるレベルじゃなかったんですが、2年生の甲子園出場の前あたりからスカウトの方に見てもらうようになってプロを意識する気持ちが出てきました。

周りやスカウトの方から野球に取り組む姿勢が評価されたということは、自分ではよくわからないんです。僕にとって野球ってただ「やるもの」なんです。やらないといけないとかじゃなくて、好きだからやっているって感じの当たり前のことです。野球が好きなんですけど、それは野球をやらないといられない、やれなかったら嫌だという感覚が強いかもしれないです。野球がなくなったらどういう人生を歩んでいくのかって考えると怖いかな。野球が普通にできることって当たり前じゃないんですけど、自分の生活のなかにあって当然で、当たり前であってほしいものなんです。
ドラフト会議当日は普段どおりの練習をしていました。堤監督から『もうそろ(ドラフトの様子を)見とけよ』って言われて、そうしたらすぐに僕の名前が呼ばれたんです。堤監督はさっきも話したとおり不思議な人なんです。言ったことが現実になる人なんですよ。呼ばれた瞬間は〈本当に?〉って感じでした。でも徐々に実感が湧いてきました。

3年間でもっとも強烈な思い出

——田内さんが2年生だった2023年、おかやま山陽高校野球部は夏の甲子園大会に6年ぶり2度目の出場を決めた。田内さんは4試合で1番打者、サードとしてスタメン出場し、2回戦・大垣日大高校戦では外角低め直球を左中間に弾き返す2塁打を記録。3回戦・日大三高戦では3安打1打点をマークし、学校初となるベスト8入りに貢献した。

2年の夏前に頭にボールが当たってけがをしたんです。意識はあったんですけど落ちたボールが5つに見える状態で、もうこの夏の試合に出られるかどうかを考えている場合じゃないって思いました。でも入院して手術してなんとか大丈夫だということで3週間後にはグラウンドに戻ることができました。ちょうど復帰したときが県大会直前だったんです。チーム状況的には一番しんどくて、そこを僕は味わってないんです。甲子園出場が決まったときは、夢うつつみたいな状態で〈嬉しい、甲子園に行けるんだ、あそこに立てるんだ〉って思っていました。甲子園では、おかやま山陽高校初のベスト8入りを果たすことができました。試合の前はただ普通にプレーしようと思っていました。印象的だったのはスタンドの人の数がすごかったこと。声援ってやっぱすごいんですよね。グラウンドに入った瞬間、うわあ!と感動するんです。
3年間のいちばんの思い出は90mを 111本、チームメイト全員で走ったことです。1年に1回、冬にやるメニューです。90m全力で走ってジョグして帰って来て、インターバルを20秒ぐらい置いて繰り返すんです。2年生のときは100本だったんですけど3年のときは111本になって(笑)。終わるまでに2、 3時間かかったかなあ。けがで参加できない人はいましたがそれ以外の皆でこれをやりきったんです。走っているときはまあしんどいですけど、走り終えたときの達成感はそのしんどさを優に超えるんです。高校の3年間が終わっていざ振り返って見たらそのときの思い出しかないくらい。まあもう1回やれって言われたら絶対無理なんですけどね(苦笑)。

学び続けられる場所

——2025年2月、田内さんはプロとして初のキャンプを終え、2月28日の卒業式に出席した。ともに学んだ320名が見守るなかで特別表彰を受けた。これまでのように仲間と語り合う一方で、その表情からは社会人として第一歩を力強く踏み出した様子がうかがえた。

プロとして初めてのキャンプはかなりきついと聞いていましたが、高校時代の練習を全力でやっていたので体力的には問題ありませんでした。約1カ月間、4日やって1日休みというペースで練習だけやるという生活でした。練習自体は時間的には高校のときより短くて、そのぶん当然ですがレベルは高いです。まずはプロで戦える体づくりといった課題がたくさんあるので、小さいことを一つずつ丁寧に積み重ねて〈いつのまにか出来ていた〉となれたらいいですね。
野球をしている高校生にとって甲子園出場はやはり大きな目標になると思います。でも高校の3年間って、甲子園以上に人生にとって大事なものを得られると思うんです。僕は3年生のときのチームで甲子園に行けませんでした。もちろんそれまでは甲子園のことしか頭になかったんです。でも甲子園に進めないことが決まった時点で切り替えてプロになりたいというもうひとつの目標に向かいました。大きな目標が果たせなかったとしてもそれ以上に成長できる可能性はあって、それ以上の人生に大切なことも見つけられると思います。
僕はこの野球部でずっと学び続けていたと思います。ひとつの目標を失ったとしても次の目標を見つけたりと自分次第で成長できる場所なんです。もちろんこのチームのメンバーがいなかったら今の自分はいないですし、ここまでの思い出は作れなかった。おかやま山陽高校野球部で僕はそんな大切な縁を得ることができたと思います。
(取材:2025年2月27日)

執筆:尾原 千明

撮影:上田 亜美(内田伸一郎写真事務所)

企画・編集:藤若 典弘、兼安 真未(V.I.F., Inc.)

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