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2015年07月13日

高校野球

佐藤先生の「甲子園の心を求めて」 一番右のに、ジンバブエ野球でてます

佐藤先生の「甲子園の心を求めて」 一番右のに、ジンバブエ野球でてます

蝉、脱け殻の下に! 見えにくい…さぁ、飛べ!

蝉、脱け殻の下に! 見えにくい…さぁ、飛べ!

突然ですが、佐藤道輔先生をご存知でしょうか? 影響を受けた指導者も数多いと思います。1980年前後に、東京都立東大和高校で2度決勝に進みながらも、日大三高に敗れました。この当時、都立高校が決勝に行くなど、奇跡。2回戦まで行けば頑張ったねと言われる時代です。中学3年生の時に先生の本をたまたま、ある人から勧められて読みました。野球をやらせてもらえず、中学2年生からハンドボール部だった私は、本を読んでから都立で野球をしたいと思いました。そして佐藤先生に、手紙を書いた事を思い出します。学区の関係で別の都立高校に行きましたが…。結局、佐藤先生にはお会いする事なく、時は流れました。突然、偶然か、必然か、佐藤先生の事が頭から消えていた24歳の時、協力隊候補生の研修所に講演に来られたのが佐藤先生! まさか、こんな所で、こんな歳になってからお会いするとは、夢にも思っていませんでした。それから、ペルーやアフリカの野球にもご尽力いただきました。先生に会いに行くと必ず鰻重をご馳走になりました。そして、必ず同じ話しを伺いました。「甲子園というのは、西宮市にあるのではなく、それぞれの高校野球児が、毎日練習するそれぞれの学校のグランドの事なんだよ。毎日頑張った汗や涙が染み込んだグランド以上に大切な場所なんかないよ」とおっしゃってました。そんな先生も、他界され数年が経ちました。まさか、同じ高校野球の指導者になるとも思ってませんでしたが。自分達のグランドを甲子園と思えるようなチームにしていきます。
 近所の溝に、脱皮したばかりの蝉を発見。5〜6年も土の中で我慢し、成長し、最期の2週間ぐらいを鳴き切る。今年は、何日鳴けるのか。1秒でも長く…。そうそう、その後1999年に久しぶりに都立で甲子園に行ったのが、都立城東高校。その時の中堅手が副部長の斎藤先生です。それをきっかけに、佐藤先生の教え子や他の都立高校出身者が多数、指導者になり現在の都立高校のレベルアップにつながっているのです。肉体は滅べど、魂はつながってます。