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2018年12月27日

ジンバブエ 野球紀行 第2弾

ターニャさんとお母さん

ターニャさんとお母さん

ブラワヨで、懐かしい気持ちに浸っていたのも束の間。翌日、早朝からモーリスの車で首都ハラレに移動。大平原の景色も見飽きる600キロの旅。JICAオフィスに寄り、ご挨拶。次回からは道具の免税措置などご協力して頂けるとの事! 腹が減ったので、ナンドスへ! ピリピリチキンが美味しい、ファーストフード店です。久しぶりのピリピリチキン!上手い! ポテトには、ビネガー〈酢〉と塩  上手い! イギリス風ですね〜。ハラレでは、ターニャさんの家に寄り、久しぶりの再会。お母さんと談笑。ターニャさん、帰国後、スマホのアプリで日本語を勉強しているそうです。いずれは、日本で働きたいと熱く語ってました。
  その後、知らない場所へ連れて行かれました。敷地には入ると寂れたスポーツクラブ。サッカー場を抜けて行くと、広い場所。錆びついたバックネットやダグアウト。 1998年6月に完成したジンバブエ初の野球場 ドリームパークでした。私は1997年12月にジンバブエを去りましたから、見た事がなかったのです。それから、何度か国内最大規模のクラブチームの全国大会が開催されました。ジンバブエの甲子園です。その後、白人の大農地を政府が強制的に奪ってたり、国内が混迷。そのどさくさ紛れに野球場の権利を奪われてしまったかなんかだったと思います。それ以降、使用できなくなっていたようです。日本のジンバブエ野球会のサポートを受けながら、毎年、少しずつトイレ・シャワー・打撃練習場など、施設を作っていってたそうです。ジンバブエの野球選手とサポーターの日本人の夢の球場でした。今は、朽ち果てた施設になっていました。一塁側のダグアウトに、記念プレートを発見。初代 野球隊員の村井さんのプレート。その横に、1000人近い支援者のプレート、中には超有名人もいらっしゃいました。さらに、よく見ると な・な・なんと  私ね名前を始め、歴代の野球隊員や体育隊員で野球を指導してくださっていた方々の名前も発見! 知りませんでした。20年、知らない場所に自分の名前があったとは…。何か感慨深いものを感じました。また、この野球場に命を吹き込まなければならないと強く思いました。
  帰りに、クラブオーナーと話すと、クラブも経営が厳しく、野球場を利用してもらった方が助かるとの事。あとは、お金の問題。ん〜ん〜。誰か助けて〜! クラウドファンドの勉強します。あとは、年末ジャンボに期待します!

そして、明日から、以前はこの野球場で開催されていたドリームカップ! 場所は、学校のグラウンドを借りての開催。そこで代表選手を選びます。