部活動

レスリング部

体育系

2020年07月02日

孔雀サボテン

今朝、孔雀サボテンが花を咲かせました。待望の開花です。
この花の命はたった1日。今日、一日のために364日があります。
そして、次に咲く365日目の、新たな一日がはじまりました。



 

2020年05月29日

超音波治療器

山陽レスリング部にすごい治療器が入りました。

山陽レスリングOBで、治療院を経営されている方から治療台を寄贈していただきました。ありがとうございます。
これで、鬼に金棒!小野に鉄棒!

山陽レスリング部の横山部長は、日体大2年の時にオリンピックのチャンピオンの専属マッサージャーとして大活躍されていたみたいですょ。(笑)

2020年05月10日

偉人列伝

① 江戸時代〜明治時代にかけ、陽明学を学び、地域の民と共に共存して現在の岡山県、備中国の経済を立て直した山田方谷先生。大政奉還以後も江戸にのぼらず、地元岡山県で教育に身を捧げた。私達は山田方谷先生を学び、伝える使命がある。
真の日本の宝、備中聖人から。


② 日本体育の父、嘉納治五郎先生。
1860年兵庫県御影で生まれ、東京帝国大学の一期生。
1912年日本はスエーデン・ストックホルムで開催された夏季オリンピックに初参加した。選手は三島弥彦と金栗四三。嘉納は選手団の団長を勤めた。

そして、日本の体育教育の発展に尽力し、欧州の体育情勢を知り、辿り着いた1940年東京オリンピックの開催。しかし、日中戦争が勃発し、危ぶまれていた東京開催を再確認したIOC総会の帰路、1938年5月4日、客船氷川丸の中で帰らぬ人となった。日本は防波堤を失い、その2ヶ月後には東京五輪を返上。嘉納は1940年東京オリンピックの開催を信じて逝去。老体に鞭打ち、命を懸けて東京オリンピックの招致に挑んだ嘉納治五先生。
私達は何を学ぶ!


③ 1959年5月、西ドイツ・ミュンヘンに於いて第18回夏季オリンピックは東京に決定した。嘉納治五郎に仕えていた田畑政治は懇情の誘致に成功した。

田畑は水泳の指導者として1932ロサンゼルス、1936ベルリンオリンピックては大量のメダルを獲得させ、水泳NIPONの名をほしいままにしていた。
そして最高の状態で迎えるはずだった1940年東京オリンピック。しかし東京大会は返上。さらに世界大戦へと広がり大会は中止された。

その後、田畑は水泳の指導者から未来の東京オリンピックの招致に人生のすべてを賭けた。1940年の東京五輪の開催を信じて帰らぬ人となった嘉納の意思を受け継いだ。

そして、迎えた待望の1964年の東京オリンピック。日本は高度経済成長の好景気で復興を遂げ、競技でも16ケの金メダルを獲得。また全力で競技するすべての選手に賞賛の拍手を送るスポーツマンシップ。

そして、閉会式は世界がひとつになり、会場は大歓声に包まれ、平和の祭典を体現した眩いばかりの情景となった。

東京

④  1964年東京オリンピックのメインイベントは女子バレーボールだろう。
連戦連勝のチームを率いるのは、大松博文監督。大松は考えられない猛烈な練習で彼女たちを東洋の魔女に育てた。
俺についてこい!なせばなる!今やらねばいつできる!
私が大学1年生の1978年。岡山県井原市でバレーボールの講習会の際、突然この世を去った。奇しくも同じ言葉を残された平櫛田中先生の田中美術館が建つその場所で。
今やらねばいつできる! わしがやらねば、たれ(誰)がやる!

⑤ 1980年はソビエト連邦のモスクワで夏季五輪が開催された。
しかし、開催の数か月前、ソ連がアフガニスタンに侵攻したため米国は早々不参加を表明した。(最終的に約60か国が不参加)

1980年5月、日本スポーツ界に激震が走った。日本もアメリカに同調し不参加。当時、日体大レスリング部第2合宿所には、モスクワオリンピックでオリンピック2連覇を達成し、マットにキスをして引退するという青写真を描いていた不世出の天才レスラー高田裕司先輩と私は一緒に暮らしていた。
オリンピック2連覇の夢。それは、できなかったのではなく許されなかった。



 

軸が完成すれば崩されない。
見えないラインが入れば、若さにも負けません。
右の私はただ立っているだけです。

基本は姿勢です。まずは、生まれてこさせていただいたことに感謝して最小限で立つこと。それから取り組む姿勢。
靴を揃える。清掃。正しいトレーニングと食事や睡眠。


内発性で取り組んでください。学びの姿勢を学ぶことで細胞が活性化し、ストレスを程よく感じ、骨で立てるようになります。
その時に體(からだ)は水となります。最小限の力で自然に立つ。

2020年05月06日

うったて(岡山弁)


紀元前776年、全能の神ゼウスに捧げるスポーツの祭典、オリンピックがギリシャ・オリンピアで開催された。しかし、その祭典も紀元後393年に終焉を迎える。

1500年の空白から救世主が現れた。フランスのビュエールド・クーベルタン男爵だ。クーベルタンは、1896年にオリンピックをギリシア・アテネで見事に復活させた。

写真は第1回近代オリンピック・アテネ大会がおこなわたバナシナイコスタジアム。5万人の観衆が身を踊らせた。



アテネ・バナシナイコスタジアム
 

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2020年07月02日

孔雀サボテン

今朝、孔雀サボテンが花を咲かせました。待望の開花です。
この花の命はたった1日。今日、一日のために364日があります。
そして、次に咲く365日目の、新たな一日がはじまりました。



 

2020年05月29日

超音波治療器

山陽レスリング部にすごい治療器が入りました。

山陽レスリングOBで、治療院を経営されている方から治療台を寄贈していただきました。ありがとうございます。
これで、鬼に金棒!小野に鉄棒!

山陽レスリング部の横山部長は、日体大2年の時にオリンピックのチャンピオンの専属マッサージャーとして大活躍されていたみたいですょ。(笑)

2020年05月10日

偉人列伝

① 江戸時代〜明治時代にかけ、陽明学を学び、地域の民と共に共存して現在の岡山県、備中国の経済を立て直した山田方谷先生。大政奉還以後も江戸にのぼらず、地元岡山県で教育に身を捧げた。私達は山田方谷先生を学び、伝える使命がある。
真の日本の宝、備中聖人から。


② 日本体育の父、嘉納治五郎先生。
1860年兵庫県御影で生まれ、東京帝国大学の一期生。
1912年日本はスエーデン・ストックホルムで開催された夏季オリンピックに初参加した。選手は三島弥彦と金栗四三。嘉納は選手団の団長を勤めた。

そして、日本の体育教育の発展に尽力し、欧州の体育情勢を知り、辿り着いた1940年東京オリンピックの開催。しかし、日中戦争が勃発し、危ぶまれていた東京開催を再確認したIOC総会の帰路、1938年5月4日、客船氷川丸の中で帰らぬ人となった。日本は防波堤を失い、その2ヶ月後には東京五輪を返上。嘉納は1940年東京オリンピックの開催を信じて逝去。老体に鞭打ち、命を懸けて東京オリンピックの招致に挑んだ嘉納治五先生。
私達は何を学ぶ!


③ 1959年5月、西ドイツ・ミュンヘンに於いて第18回夏季オリンピックは東京に決定した。嘉納治五郎に仕えていた田畑政治は懇情の誘致に成功した。

田畑は水泳の指導者として1932ロサンゼルス、1936ベルリンオリンピックては大量のメダルを獲得させ、水泳NIPONの名をほしいままにしていた。
そして最高の状態で迎えるはずだった1940年東京オリンピック。しかし東京大会は返上。さらに世界大戦へと広がり大会は中止された。

その後、田畑は水泳の指導者から未来の東京オリンピックの招致に人生のすべてを賭けた。1940年の東京五輪の開催を信じて帰らぬ人となった嘉納の意思を受け継いだ。

そして、迎えた待望の1964年の東京オリンピック。日本は高度経済成長の好景気で復興を遂げ、競技でも16ケの金メダルを獲得。また全力で競技するすべての選手に賞賛の拍手を送るスポーツマンシップ。

そして、閉会式は世界がひとつになり、会場は大歓声に包まれ、平和の祭典を体現した眩いばかりの情景となった。

東京

④  1964年東京オリンピックのメインイベントは女子バレーボールだろう。
連戦連勝のチームを率いるのは、大松博文監督。大松は考えられない猛烈な練習で彼女たちを東洋の魔女に育てた。
俺についてこい!なせばなる!今やらねばいつできる!
私が大学1年生の1978年。岡山県井原市でバレーボールの講習会の際、突然この世を去った。奇しくも同じ言葉を残された平櫛田中先生の田中美術館が建つその場所で。
今やらねばいつできる! わしがやらねば、たれ(誰)がやる!

⑤ 1980年はソビエト連邦のモスクワで夏季五輪が開催された。
しかし、開催の数か月前、ソ連がアフガニスタンに侵攻したため米国は早々不参加を表明した。(最終的に約60か国が不参加)

1980年5月、日本スポーツ界に激震が走った。日本もアメリカに同調し不参加。当時、日体大レスリング部第2合宿所には、モスクワオリンピックでオリンピック2連覇を達成し、マットにキスをして引退するという青写真を描いていた不世出の天才レスラー高田裕司先輩と私は一緒に暮らしていた。
オリンピック2連覇の夢。それは、できなかったのではなく許されなかった。



 

軸が完成すれば崩されない。
見えないラインが入れば、若さにも負けません。
右の私はただ立っているだけです。

基本は姿勢です。まずは、生まれてこさせていただいたことに感謝して最小限で立つこと。それから取り組む姿勢。
靴を揃える。清掃。正しいトレーニングと食事や睡眠。


内発性で取り組んでください。学びの姿勢を学ぶことで細胞が活性化し、ストレスを程よく感じ、骨で立てるようになります。
その時に體(からだ)は水となります。最小限の力で自然に立つ。

2020年05月06日

うったて(岡山弁)


紀元前776年、全能の神ゼウスに捧げるスポーツの祭典、オリンピックがギリシャ・オリンピアで開催された。しかし、その祭典も紀元後393年に終焉を迎える。

1500年の空白から救世主が現れた。フランスのビュエールド・クーベルタン男爵だ。クーベルタンは、1896年にオリンピックをギリシア・アテネで見事に復活させた。

写真は第1回近代オリンピック・アテネ大会がおこなわたバナシナイコスタジアム。5万人の観衆が身を踊らせた。



アテネ・バナシナイコスタジアム
 

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