レスリング部
体育系2024年02月02日
能登半島へ
能登半島地震から1ケ月が経過し、石川県志賀町に水道復旧の情報が入った。水が出るなら思い付いたは『鴨方の乾麺』。80年の伝統『たなかのうどん』さんへ向かい全国選抜大会団体戦代表の志賀高校に郵送。全国大会にて、共に笑顔でレスリングが出来ることを楽しみにしています。
※志賀町は、昭和60年山陽レスリング部が初めて団体戦の岡山県代表としてインターハイのマットに上がった思い出深い場所。(監督は岩倉正美先生)
2024年01月29日
名伯楽より闘魂注入
1月29日『名伯楽』滝本洋三先生(元山陽高校教頭・体育教師・空手道部顧問・現在マイスター講師)が、レスリング道場で闘魂を注入してくださった。「この道場は強くなる良い空気が流れている。」とも!
2024年01月29日
体育教師の『恩師』
宮崎勇次先生が1月29日にご逝去された。先生は、私が山陽高校に赴任したときの体育主任。『教師のいろは』を教えていただいた。近年もあの頃の笑顔でよく声をかけてくれた。先生は体育科を経て調理科長となり、幾多の名調理人を世に送り出した。また柔道の指導者としても名を馳せた。さらに退職後は里庄町教育委員長へ。先生はワンランク上の『先生』だった。
令和5年11月23日、山陽高校創立100周年のホームカミングdayがお別れの日となってしまう。写真の右側は、先生と会話をした最期の場所。そこは当時体育館が建っていた現在の調理棟の前。(40数年間が走馬灯のように甦る)。その日は久しぶりに『下の名前』で呼んでくれた。「写真を撮りませんか」とお願いをしたが、先生は「写真はええわあ」と告げられた。『想い出は心の中に置きます』。
宮崎勇次先生「たくさんのご指導をありがとうございました。」心よりご冥福をお祈り致します。
2024年01月28日
内藤莉久、深川智史が中国王者へ
1月28日は個人戦。山陽勢は51kg級深川智史と80kg内藤莉久が優勝。また、1年生の岡田淳之介55kg2位、寺元柊和が71kgで3位に入賞した。(寺元は団体戦で値千金の勝利を挙げ、同僚の松本も伸びてきている)3位以内の上記4名は個人戦でも全国選抜大会へ。さらにエース内藤が団体戦の部で最優秀選手賞に輝いた。ステップUPしている山陽レスリング部が楽しみだ。
2024年01月27日
『全国大会団体戦』の登龍門に挑む
令和6年1月27日広島市。全国選抜レスリング大会の『団体戦』を賭けた第39回中国地区予選の幕が上がろうとしている。会場からは広島城(鯉城)が目の前に見える。連想するは『鯉の滝登り』。するとご存知『登龍門』という言葉が浮かぶ。それは中国黄河の上流にある龍門という滝を登り切ると『鯉が龍になる』という伝説からなぞられたもの。山陽高校が『登龍門』に挑む!
山陽は団体戦で8回目の優勝。それは、第1回大会から3連覇を達成した岩倉正美先生(76)の時代に4回、プラス近年で4回となった。優勝の歴史は昭和、平成、令和と時代を駆ける。今年も全国選抜大会の『団体戦』に出場できることに『感謝』を申し上げたい。