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2015年06月03日

創立記念日と中庭の石碑

おかやま山陽高校には誕生日がある。山陽高校で活動する限り、大切な一日であることに間違いはないだろう。

誕生日の6月5日早朝、胸像にご挨拶したのち、中庭の石碑を部員と訪ねた。

それは東京五輪の記念碑。 戦後わずか10数年でオリンピックの開催に世界は驚愕した。

日本にはエネルギーがあった。 敗戦国という立場からオリンピックの誘致。

そして競技場建設、インフラ整備、三種の神器まで。 

当時、日本が変わっていく様子を幼少ながら感じることもできた。




戦争のため幻となった1940年東京五輪、そして戦後復興の象徴1964年東京五輪。

幾多の時代を経て、2020年東京に再びオリンピックがやってくる。 

世界の平和を祈る。

山陽高校からオリンピック代表選手の誕生に期待を寄せる。

1924年、創設者原田林市先生の 「信念の実践」 が山陽高校を誕生させたように。

☆☆☆ 横山監督の深い話  ☆☆☆

 今日は山陽高校の創立記念式。1924年6月に山陽高校は生まれ、今日は92回目の誕生日である。
何故か東京オリンピックの輪の石像が中庭に建てられていることを思い出しその前に立ち止まった。
2020年の夏、東京に2度目のオリンピックがやってくる。しかし本当は3度目だったという事実があったこのことを皆さんはご存知だろうか?
時は1940年。第12回東京大会の開催は決定していた。しかし、戦争に突入したため大会は行われなかった。日本体育の父、嘉納治五郎先生は東京大会誘致にご尽力されたが、その開催を信じながら1938年に逝去された。
第二次世界大戦は、1945年8月15日に終戦した。
さて、ここからが日本の真骨頂!
日本はわずか14年足らずの月日、1959年5月に1964年の東京オリンピック開催を決めたのである。 西独ミュンヘンのIOC会議。奇跡は起こった!
戦後、日本復興の象徴、1964東京オリンピック!
東京大会は大いに盛り上がり、日本は世界の大国の仲間入りを果たした。
それから50年を経て2013年7月、今度は南米ブエノスアイレスにて2020年東京オリンピックが決定した。
今、我々日本人は、オリンピックを迎えるにあたり、熱い思い、安らぎの気持ち、そして国民一人ひとりが心に温かみを持って大事業に当たらなければならない。 
(水を飲む時は井戸を掘った人の気持ちを考えよ。)
現在、山陽高校で活動できるのは、1924年6月に誕生させた創始者の勇気ある決断と描いた理想と夢!これら全ての結晶だと思います。
創立100周年に向けて、現在進行形の進行形。